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一度は訪れたい世界の変わった空港が面白い!

1.世界一の空港
世界の変わった空港が面白い
まずは敷地面積から。世界最大はサウジアラビアのキング・ファハド国際空港の780平方キロメートルだ。東京23区(622平方キロメートル)がすっぽり収まって、まだおつりがくる。

世界一高い場所にあるのが、中国・四川省の稲城亜丁(ダオチャンヤーディン)空港で海抜4411m。富士山(3776m) よりも高い。現在チベット自治区で建設中のナクチュ・ダグリン空港は海抜4436mで、完成すればこれが世界一になる。

もっとも高価な空港、というのもある。建設費200億ドル(2兆4000億円)をかけて1998年に開港した香港国際空港で、これはギネス記録にも認定された。 ちなみに香港でそれまで使用していた啓徳(カイタック)国際空港は「世界一着陸が難しい空港」で知られていた。

旅客機が空港に降りるときは通常、上空から浅い角度でゆっくり高度を下げていく。しかし啓徳空港は滑走路からの直線上に平坦な土地を確保できなかったため、滑走路とは違う角度で海上を降下し、高層ビルが林立する市街地の頭上をかすめるようにして着陸直前に急旋回するというテクニックが要求された。

着陸が難しいといえば、ネパールのテンジン・ヒラリー空港も負けていない。パイロットのあいだでも「世界一危険な空港」と噂される。ヒマラヤ山間部の辺境にあり、滑走路はわずか527m。立ちはだかる山肌に向かって着陸し、断崖絶壁へ身を投げるように離陸する。まさに命がけの空港である。

世界一高い管制塔(132.2m)を持つのは、タイのスワンナプーム国際空港。またドイツのミュンヘン国際空港は世界で唯一、空港内にビールの醸造所がある。


2.一攫千金を狙える空港
出発地で預けた荷物を受け取る場所といえば、どの空港もターンテーブルが並んでいるだけの殺風景なエリア。ところが、アメリカには、一攫千金を狙えるスロットマシンが乱立している空港がある。自分の手荷物をピックアップするまでのあいだ、ギャンブルを楽しむことができるのだ。

「そんな空港は?」といえば、多くの人がもうおわかりだろう。カジノの街ラスベガスのマッキャラン空港である。空港内には、1200台以上のスロットマシンが設置されている。出発ロビーや搭乗ゲートにもスロットマシンが並んでいるので、旅客機に乗る直前まで遊ぶことができる。

1回25セント硬貨(レートによって19~25円くらい) から遊べるので、余ったアメリカ硬貨を使いきることもできる。ただし、正真正銘のギャンブルなので、遊べるのは21歳以上という制限がある。

また、多くの観光客が滞在するストリップ地区から、わずか3キロメートルの近さというのも、このマッキャラン空港の大きな特徴である。主要都市の空港としては、世界屈指の中心街に近い空港として知られ、派手なホテル風景をバックに離着陸機を撮影することもできる。

たとえば、ニューヨークの摩天楼やスフィンクスをバックに飛び立つ旅客機は、ニューヨークやエジプトでは決して撮影できない。
さらに、空港の横には、離着陸機を眺めるための駐車場があり、そこでは、カーラジオで、パイロットと管制官のやり取りを聞くことができる。ラスベガスのマッキャラン空港は、ギャンブル好きだけでなく、空港好きにもたまらないスポットとなっている。


3.お酒好きにはたまらないビアガーデンを併設
世界にさまざまな空港があるといっても、空港内でビールを醸造している空港はココしかない。ドイツのミュンヘン国際空港である。

同空港は、ドイツのルフトハンザ航空とスターアライアンスのハブ空港で、全日空も乗り入れている。日本人にもなじみの深い空港だが、第一ターミナルと第二ターミナルのあいだに、ビール醸造所「エアブロイ」があるのだ。

もちろん、ビアガーデンが併設され、新鮮なビールをその場で味わえるようになっている。つくり立てのビールを1杯やりたければ、カウンターでグラスに注いでもらい、それをレジまで運んで精算すればよい。ソーセージなどのつまみも販売されている。

ミュンヘンは、ビール大国ドイツの中でも、とりわけビールと縁が深い。全国のブルワリー( 醸造所) の約半分、約600か所はバイエルン州に集まり、その州都がミュンヘンなのである。毎年秋には、世界最大のビール祭も開催されている。ミュンヘンのビールは、モルトの風味が強く、ホップとのバランスがよくとれているのが特徴だ。

そのドイツには「ビールは流れなければならない」ということわざがある。どんどんビールを飲め(提供すれ)ば、つねに新鮮なビールを飲める(提供できる)という意味の言葉だ。同空港では、世界中から集まった旅行者がノドを鳴らしてビールを飲み、つねに新鮮なビールが流れている。日本への帰国前、「ドイツ最後の1杯」をここで楽しむ日本のビール好きも少なくない。

4.世界唯一の砂浜空港
スコットランドの西部に「バラ島」という人口約1000人の島がある。中世以来、マクニール家が所有していたが、1838年、40代目の家長が、島の所有権をゴードン大佐という軍人に売却した。すると、ヒツジを飼おうと考えたゴードン大佐が、ほとんどの島民をアメリカへ追い出したという歴史を持つ島である。

それから約100年後の1937年、アメリカで建築家になっていたマクニール家の45代目家長のロバートが買い戻したが、2003年、46代目の家長イアンによりスコットランド政府に移管され、現在にいたっている。

このバラ島の面積は約59平方キロメートル。東京やロンドンの中心街くらいの広さだが、ここにも「バラーエオリガーリー」という飛行場があり、スコットランド最大の都市グラスゴーと結ぶ定期便が就航している。滑走路が砂浜で、定期便の乗り入れる空港としては世界唯一の「砂浜空港」として知られている。

同空港には、滑走路が3本設定されているが、難点は満潮になると、滑走路(砂浜) が水没するため、着陸できなくなること。この空港に離着陸できる時間帯は、潮の干満によって左右されるというわけだ。

着陸可能な時間帯は吹き流しが掲げられ、滑走路への立ち入りが禁止される。満潮で滑走路が使えない時期と休日が重なると、住民や観光客が滑走路に立ち入り、潮干狩りをしていることもある。

むろん、空港灯火は設置できないので、空港として使えるのは日中にかぎられる。
夜間に緊急着陸を必要とするときは、自動車のヘッドライトで滑走路を照らして。滑走路灯としている。


5.絵画を堪能できる空港
現在、「ヨーロッパの空の玄関口」という呼び声が高いのは、オランダの首都アムステルダム郊外にあるスキポール空港である。日本からも、成田空港と関西国際空港、それに福岡空港(2013年4月)から、KLMオランダ航空が飛んでいる。

到着したその日のうちに、ヨーロッパの60以上の都市に乗り継げるという便利さから、世界各国の便が就航している。
当然ながら、乗り継ぎ客が待ち時間をつぶすための施設も充実しているが、なかでも特筆すべきは、空港内に美術館があることだろう。

もともと、オランダは有名美術館が多い国。レンブラントの『夜警』で有名な国立博物館(アムステルダム)、ゴッホの作品を集めたゴッホ美術館( アムステルダム)、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』などがそろう美術館などを目当てにオランダを訪れる観光客も多い。そんなお国柄を反映して、出発ロビーにも美術館が設けられているというわけだ。

といっても、さすがに空港内なのでスペースは小さいが、アムステルダム国立美術館所蔵の絵画が展示されているほか、企画展も行なわれている。

レンブラントの生誕400年たった2006年には記念展示が行なわれ、2008年にはゴッホ展が開催された。開館時間は7時から20時で入場無料なので、有名作品が展示されているときは、絵画好きはかなりラッキーな時間を過ごせることになる。

6.ライト兄弟ゆかりの地
世界初の飛行場といえば、ライト兄弟を思い浮かべる人が多いことだろう。彼らは自転車店を営みながら、飛行機の研究をつづけ、1903 年(明治36)、「ライトフライヤー号」で、世界初の有人飛行に成功した(59秒間で256m)。

その場所が、ノースカロライナ州のキティホークだったことは、よく知られているが、ライト兄弟がその後、飛行実験をくり返したのは、オハイオ州デイトンの郊外だった。

といっても、滑走路はなく、ただ草原が広がる場所だったが、近くに格納庫が建設されていたので、飛行場らしい雰囲気はあったようだ。現在では「フマンープレイリー・フライングフィールド」と呼ばれ、世界最初の飛行場として史跡指定を受けている。

その場所はもともと、銀行家が所有する土地だったが、ライト兄弟が実験場所を探していたところ、無料で貸してくれたという。「フマンープレイリー」という名称は、その奇特な銀行家の名に由来する。
その場所は兄弟の自宅から近く、広さは84エーカー(34万平方メートル)。東京ディズニーランドより、やや狭いくらいの広さで、いまは木造の格納庫やカタパルト射出機などが復元展示されている。

7.パイロットの訓練専用の空港が、日本にあるって本当?
車の運転免許を取ろうとする人が自動車教習所の敷地内で練習するように、航空機のパイロットにも訓練用の空港がある。

沖縄県宮古島市にある下地島空港は、パイロットが飛行訓練を行なうために建設された空港である。1970年代初めまでは、日本国内に訓練専用の空港がなかったので、パイロットたちはアメリカに渡り、訓練を受けていた。

むろん、アメリカまで出かけて訓練を受けると、コストもかかるし、不便なので、1973年(昭和48)、下地島空港が非公共用飛行場として建設された。3000mの滑走路を持つ、訓練用の本格的空港として開港したのである。

その後、下地島空港は、1979 年(昭和54) に公共用飛行場(第三種空港)として新たに設置許可されたため、飛行訓練専用ではなくなり、旅客便も発着するようになった。一時は、那覇空港とのあいだに南西航空の定期便が就航したが、こちらは利用客の減少から、1994 年(平成6)に運休され、現在にいたっている。

そんな下地島空港だが、近年は訓練施設としての利用も急激に減りつつある。航空会社が実機を使った訓練を減らし、コンピューターによるシミュレーションで代用してコストカットをはかっているためだ。
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