コンテンツ

大戦中に艦上戦闘機は3カ国しか配備されず日本の零戦を他国と比較すると…

1.じつは特殊な戦闘機だった艦上戦闘機
わが日本の航空史を振り返る時には、零式艦上戦闘機と九六式艦上戦闘機という2種類の艦上戦闘機の存在がクローズアップされることがほとんどのため、「艦上戦闘機」というカテゴリーは比較的メジャーである。

しかしこれは世界的に見るとごく例外的なことであり、艦上戦闘機はマイナー極まりない。それというのも第二次世界大戦/太平洋戦争において空母機動部隊を実践で運用し、さらに艦上戦闘機を配備していた国となると日本、アメリカ、イギリスの3か国しかなかったのだから。しかも航空母艦を早くから運用していたイギリスでも、大戦半ば以降というもの、自前の艦上戦闘機不足に悩まされ、多くをアメリカから調達せざるをえなかったのである。

それに対して、日本海軍とアメリカ海軍は共に初期から艦上戦闘機を自前で調達し、大戦を通じて変わらなかった。中でも日本では、本来は艦隊防空及び比較的短距離の護衛しか想定されていなかった艦上戦闘機を、一種の多目的戦闘機として多用するという運用の巧みさを見せた。

2. さて、ここからは実機の比較である。太平洋戦争で日本とアメリカが対峙した時、それぞれの主力艦上戦闘機は零式艦上戦闘機二一型と、グラマンF4F-3ワイルドキャットだった。この他に二線級として日本には少数の九六式艦上戦闘機が、アメリカにはF4Fと平行して採用されたブリュースターF2Aバッファローと、F4Fの先代だったグラマンF3Fが共に少数配備されていた。

零戦とF4Fは早い時期から交戦し、その初期には零戦が優れた機動性で圧倒した。しかしアメリカ側が零戦の弱点を把握し、格闘戦を避けるようになってからは、頑丈で信頼性が高いF4Fが次第にその持ち味を発揮。改良型のFM2の登場に加え、 ミッドウェー海戦後、両国の勢力に大きな差が生じてからは、零戦がジリ貧になっていったことは否めない。

ちなみにF4Fは後継機のグラマンF6Fヘルキャットが登場してからも、海兵航空隊に回された機体が船団攻撃や地上襲撃などに活躍。末期まで前線にあったのは零戦と同じだったものの、後継に恵まれず前線に出ていた零戦とは事情が異なっていた。その零戦も艦上戦闘機としての総合性能は初期型の二一型がベストであり、性能向上を目指したはずの三二型以降の各型は、重量が大幅に増したことで運用法そのものを見直す必要に迫られ、艦上戦闘機としての評価は二一型にくらべて高くはない。

大戦後半に登場したグラマンF6Fヘルキャットは零戦を徹底的に研究して開発されたこともあり2000hp(馬力)級エンジンを搭載した重量級戦闘機としては機動性も高く、グラマンの特長でもあった頑丈さと共に各戦域での制空権確保に大きく貢献した。

第二次世界大戦/太平洋戦争に参戦した艦上戦闘機としては、他にアメリカ海軍のヴォートF4Uコルセア、イギリス海軍のスーパーマリン・シーフアイア、ホーカー・シーハリケーン、グロスター・シーグラデイエーターなどがあったが、F4Uはその多くが海兵隊によって陸上戦闘機として運用されたこともあり、艦上戦闘機としての評価はしにくい。イギリス海軍の各機体はそれぞれに優れていたという評価もあるが、いずれも生産機数が少なく、F4Fが最も多用されたという事情を鑑みるとこれも高評価はつけにくい。

ここでの第1位は圧倒的な勢力で戦線を支配し最終的な勝利に貢献したグラマンF6Fヘルキャット。第2位は初期に大きな活躍を見せた零戦二一型。そして第3位は大戦を通じて地道に活躍したグラマンF4F/FM2ワイルドキャットとしたい。
この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!