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マクドネル・ダグラスMD・DCシリーズ旅客機の歴史

1.マクドネル・ダグラスの旅客機
MDシリーズ
今回のテーマはマクドネル・ダグラスMD-11だ。知っての通リダグラスDC-10の発展型である。
DCは「ダグラス商用機」の頭文字で、1933年初飛行のDC-1に始まる。しかし1967年にダグラス社はマクドネル社に吸収合併されて、DCシリーズはDC-10で終わりを告げた。

MD-11のMDがマクドネル・ダグラスの頭文字であることは言うまでも無い。マクドネル(ダグラス)社としては、MD-12、MD-13(は縁起が悪いと飛ばしたかも知れないが)と、MDを付けたエアライナーのシリーズを続ける気であったであろう。オランダのフォッカー社との共同開発機をMDF-100として売り出すつもりだった。

しかし現実にはMDのシリーズは、DC-10から発展したMD-11と、DC-9から発展したMD-80/90シリーズとが造られただけで、完全な新型機はこの名称では開発されることなく終わった。
マクドネル・ダグラス社の経営は1990年代には行き詰まり、新規の開発力を失う。1997年にはボーイング社に吸収され、マクドネル・ダグラスの社名は完全に消滅するのだ。


2.複合材料製ウィングレット
MD-11を簡単に言ってしまえば、胴体を延長し、キャビンの内装を新しくし、空力を全般的に改善し、各部の構造を新材料で軽量化し、エンジンを燃費の優れた最新世代に更新し、コクピットを電子化してツー・マン・クルーとしたDC-10だ。

MD-11の胴体断面はDC-10と同一で外径6.02m、エコノミークラスで3列+4列+3列の計10列あるいは2列+5列+2列の計9列を配置している。

MD-11の胴体は、DC-10、30に対して主翼の前で100in(2.54m)、主翼の後ろで123in(3-12m)、合計して223in(5.66m)延長している。これによってミックスの3クラスでも298席、2クラスでは323席、モノクラスだと410席が可能になった。

胴体延長で床下貨物室も長くなり、LD3コンテナが全部で32個も収容出来るようになった。これは747-400のLD3搭載数よりも多い。

DC-10とL-1011は、ラガーディア空港(ニューヨーク)の狭いスポットも利用出来るという要求に合わせて設計され、おかげで両機とも翼幅は47.34mでしかない。DC-10の主翼のアスペクト比は6.8で、長距離巡航向きではない。

マクドネル・ダグラス社はしかしMD-11開発に当たっては、DC-10との共用性を重視して、長距離巡航向けに主翼を延長はしなかった。代わりに採用した切り札が、NASAラングリー研究センターのリチャード・T・ホイットコムが提案していたウィングレットだったのだ。

ウィングレットは翼端渦をコントロールすることによって誘導抗力を減らす仕掛けで、うまくすれば燃料消費を3%から6%減少させる効果があると宣伝された。MD-11の場合には、
DC-10と比較した燃料節減の2.5%がウィングレットの効果であるとされた。

MD-11のウィングレットは、1981年にDC-10で試験されたものと形状は同じで(DC-10は一時的だったので材質は異なる)、翼端を大きく上に折り曲げた形になっているが、前縁側に小さな下向きの張り出しがあるのが特徴になっている。上部ウィングレットの後縁と下部ウィングレット全体は複合材料で作られている。ジェット・エアライナーに後付けではなく、生産時からウィングレットが取り付けられたのはMD-11が最初になる。

3.航続距離の延長
MD-11には標準の純旅客型(しばしばMD-IPと表記される)の他にも、いくつかの型がある。最初に登場したMD-11Pは生産数もいちばん多く、131機が造られたが、MD-HCはアリタリアの注文に応じて5機が造られただけだ。DC-10のコンビ同様の貨客混載可能な型で、181人から290人の乗客を乗せつつ、胴体後部に貨物パレット10枚を搭載出来る。

MD-11CFはマーティン・エアの求めに応じて製造された貨客転換型で、マーティンとワールド・エアウェイズ向けに合わせて6機が造られた。

DC-10にはもともと旅客機よりも貨物機に向いているという、ダグラスにとっては必ずしも喜ばしくはなさそうな評価があり、実際DC-10が旅客機として国際的な競争力を失った後には世界各地の改造業者の手で貨物ドアを取り付けたり床を補強したりの改修工事が行なわれて、多くの機体が貨物専用機としての第二の人生を送ることになった

MD-11も、不本意かも知れないがこの評価を引き継いでいて、実際の生産数の1/3近くが貨物型あるいは貨客型だ。第一線を退いた後に貨物型に改装された機体はさらに多い。

MD-11Fは最初から貨物専用に生産された型で、53機が造られた。最初から最後まで造られたのもこの型だ。

胴体前部左側面に3.6m×2.6mの大きさの貨物ドア(MD‐HCFのそれと同じ大きさ)を持ち、床上貨物室の容積は440mになる。最大ペイロードは9万786で、88 ×125in(2.24×3.18m)あるいは96×125in(2.44x3.18m)のパレット26枚を収容出来る。

フェデックス(22機)とルフトハンザ・カーゴ(14機)の発注が半分以上を占め、MD-11シリーズ全体の最終生産機もルフトハンザ・カーゴ向けのMD-11Fで、2001年2月22日に引き渡されている。

4.MD‐Hの不本意
シンガポール航空との騒動あるいは航続性能不足がどの程度影響したのかは分からないが、MD11シリーズの売れ行きは最初の勢いを維持出来なかった。1994年以降、年毎の引き渡し数は十機台となり、売れ行きが回復することはなかった。

貨物型(MD‐11F)以外の発展型の発注が一桁に留まったのも痛かったのではないか。開発費をかけても、一桁の売り上げでは回収出来ない。

鳴り物入りで採用した小さな水平尾翼にも疑問が呈された。いくつかの事故に関連して、固有安定性が低いのではないかという疑念がだされ、離着陸時の重心が後ろ過ぎて安定マージンが小さいのではないかという指摘がなされた。DC-10以来の危険な機体、事故の多い機体というイメージは払拭出来なかった。

マクドネル・ダグラス社ではMD-11の改良型や発展型をさかんに提案するが、しだいにアドバルーン的な構想が多くなってくる。ユーザーの方も同社の経営状態に不安を抱き、真剣に取り合わないようになる。1992年にはMD-12の計画名で、二階建てで400~500席級の四発エアライナーを提案したが、55億ドルに上ると見られる開発費をマクドネル・ダグラス社が捻出出来る見込みは元から無かった。

社運を賭けたMDinの売れ行き不振でマクドネル・ダグラス社の経営は大きく傾き、ついには1997年8月ボーイング社の軍門に下ることになる。マクドネル社とダグラス社の合併から30年後のことだった。

ボーイング社では当初MD‐11の生産を、貨物型に限って継続すると表明していた。しかし市場はメーカーの後ろ盾を失ったエアライナーに非情で、MD-11Fの受注は途絶えた。ボーイング社は1998年にMDHシリーズの生産打ち切りを決定した。

MD‐11の最後の旅客型は1998年4月にサベナ航空に引き渡され、最後の2機のMD‐IFは2001年の1月と2月にルフトハンザ・カーゴに引き渡された。MD11シリーズの生産総数はきっかり200機になる。

実は事故で失われたものを除けば、そのほとんどがまだ現役で活動している。ただし旅客型もほぼ全てが貨物型に改装されている。旅客型をスケジュール運航しているのはいまではKLMオランダ航空くらいだが、それも2012年から退役が始まっているようだ。

貨物型の保有数はフェデックスがいちばん多くて約60機(1機は2009年3月に成田空港で炎上している)、他に大口はUPS(38機)、ルフトハンザ・カーゴ(19機)、ワールド・エアウェイズ(15機)となっている。DC10/MD‐11は旅客よりも貨物の輸送に向いているとの評判は定着しそうだ。MD-11自身には不本意かも知れないが。
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