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FFPが始まってマイル競争が航空会社のサービスを拡大させた

1.FFPの歴史
マイレージに関わるサービス、プログラムは消費者にとって今やエアライン選択時における重要な要素であり、いかに魅力あるフリークエント・フライヤー・プログラム(FrequentFlyer Program, FFP) を構築し効率的かつ効果的に運営するかは顧客囲い込みというマーケティング上の観点からも各エアラインにとって重要な課題となっている。

FFPとは自社カードを発行し飛行距離(マイル)や搭乗回数といった利用実績に応じてマイルまたはポイントを付与するとともに貯めたマイルを無償航空券等の諸特典に交換可能とすることで旅客の自社便利用を誘導し、または利用頻度を向上させることを目的とするプログラム運営企業としては、FFPで蓄積されたデータを有機的に活用し、顧客への直接的な販売や双方向コミュニケーションを可能とするデータベースマーケティングを確立することによって、自社独自の手法にて顧客の固定化、顧客基盤の拡大を図ろうとするものである。

FFPの始まりは1981年5月、アメリカン航空(AA)が自社便に搭乗した会員に対して提供したマイレージポイントプログラムである。
1978年に始まった米国航空輸送産業における規制緩和(Deregulation) の波を受け、新規エアラインの参入によって価格競争が激化するとともに、CRS(Computer Reservation System,エアラインの予約・発券システム)の台頭で座席販売ツールがシステム化される等、航空業界を取り巻く環境変化の中、増収を目的とし、リピータ一利用を促すためのインセンテイブの進化として、データベースの蓄積を経て会員組織の構築へと発展したものがマイレージプログラムである。同1981年、ユナイテッド航空(UA) がMileagePlusを導入し、入会時のボーナスマイルやマイルの有効期限無期限化という点で独自性を打ち出すとデルタ航空(DL) やトランスワールド航空(TWA)も追随しさらには欧州、アジアなど世界のエアラインにも展開された。

日本においてマイレージプログラムを初めて導入したのは日本航空である。すでに1970年代から顧客向けに特典を提供するJALグローバルクラブが存在していたが、1983年に米国でJALマイレージパンクを発足させ、1993年には日本でJALSKYPLUSキャンベーンを開始した。翌年にはJALショッピングマイルプランの展開により、搭乗に応じたマイル積算のみならず日常生活においてもマイルを貯めることのできる仕組みが取り入れられ、多様化する会員ニーズに応えていく中で会員規模の飛躍的な拡大が図られた。1996年10月、プログラム名を改称し現在のJALマイレージパンク(JMB)が誕生、翌1997年4月には国内線積算サービスも開始され、 2003年4月の旧日本エアシステムのJASマイレッジサービスとの統合、2007年ワンワールドへの加盟を経て、2007年10月末時点で2000万人を超えるJMB会員で構成されている。

ANAでは1984年10月にANAカードを発行し一般の旅客を対象とした会員組織が発足した。翌年にはカードを磁気ストライブ付きのものに変更し、会員情報を登録可能とさせ、会員自身で国内線の搭乗マイルを積算できるよう各空港に「スカイレコード」を設置するとともに、搭乗距離別にプレゼントを進呈する「スカイレコードサービス」を提供した。

一方、国際線では定期便就航を開始した1986年に米国市場にGoldPassを導入し搭乗記録を蓄積するとともに1991年にはUSエアウェイズ(US)との提携で弾みをつけ、1993年には現在のマイレージプログラムの前身となるProgramAを導入した。そして1997年5月、国内線・国際線共通のFFPとして誕生させたのがANAマイレージクラブ(AMC)である。1999年10月にはスターアライアンスに加盟して加盟各社とのFFP提携を行うことで路線ネットワークの充実に加え、マイルの積算、償還並びに会員ステータスサービス享受範囲の拡大を実現しており、2007年10月末現在、約1600万人の会員を抱えている。


2.既存新規参入と運賃競争
1985年に米国では民間航空委員会(CivilAeronautics Board. CAB)が解散して、航空会社の新規参入が自由化されて以降、1980年代末からチャーター航空や中小国内航空企業などが堰を切って需要が大きい主要都市間の国際定期路線に参入していった。それは、経済学でいうクリーム・スキミングという行動に近いものであり、またチャーター航空や中小国内航空企業のほうが、大手航空会社よりもコスト競争力が高かったため、市場浸透を図るために低運賃戦略に出る新規企業が多く、多くの路線で激しい運賃競争が発生した。

大手航空会社は新規参入企業よりも高位な労働条件を労使協定で定めている会社がほとんどでコスト競争力が弱く運賃競争による収支悪化を挽回する方策として、路線の改廃が行われたが、限られた経営資源でより多くの路線を運航する方策としてハブ&スポーク方式が生み出された。

需要の少ない路線は小型機で運航ができ、需要が多い路線は運航頻度も増え、利便性向上が期待できる一方で、ハブ空港では乗り継ぎ旅客の利便性を図る目的で、一時期に到着便、出発便が集中する傾向にあり、その非効率さも指摘されている。
またこの間、大手航空会社は自社予約システム(ComputerReservationSystem. CRS)を次第に高能力化させ、自社内から旅行代理店に展開を図った。

現在大手航空会社にとってCRSは、多数の航空会社とのコードシェアによる実際のフライト業務運用を束ねるツールとしてなくてはならないものになっている。
さらに1980年代以降大手航空会社はFFP(Frequent Flyer Program) を導入し旅客の囲い込みを強化してきた。旅客の希望する出発地と目的地の組み合わせをネットワーク上により多く持つ大手航空会社がFFPでは優位を発揮する。大手航空会社は自社FFPカード発行によるブランド・ロイヤリティを高め、コードシェアによるネットワーク拡大の相乗効果でLCCとの競争を行っていった。

このほか大手航空会社は、ハブ&スポーク方式でのネットワークを拡大するため、小型機による低需要支線運航を増やし、コミューター会社とのコードシェアリングの展開を行ってきた。展開を支えてきたのはCRSによる予約情報等のシステム化、 FFPを軸とするブランド・ロイヤリティ向上による旅客の囲い込みであった。


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