目次

ICAOは民間航空会社が発展するためにカナダに設立された

1.国際民間航空機関(InternationalCivil Aviation Organization,ICAO)
シカゴ会議における重要な目的は戦後の国際民間航空の発展のための枠組みである多国間条約(シカゴ条約)の作成と、国際航空発展のための国際機関の設立であった。ただこの分野においても英米は設立すべき機関の性格について鋭く対立した。英国は戦争による疲弊したヨーロッパ諸国の航空企業の保護という観点から運賃ほか重要な部分を拘束力を持って管理する超国家的な国際機関の設立を強く望んだ。

これに対して米国は第2次大戦を通して成長した経済力と戦争に貢献してきた航空企業の自由な発展を推進するという観点から、設立されるべき国際機関は国際航空の秩序の維持や発展、情報交換、技術協力の促進を目的にした拘束力を持たない緩やかなものであることを強く主張した。

ここにおいてもシカゴ会議は空の自由を主張する米国と規制の下での秩序ある発展を主張する英国との対立であった結局シカゴ条約の下では、米国の主張を受け入れた緩やかな国際機関として国際民間航空機関(ICAO)の設立が合意された(1944年12月発効1947年4月)自由な空を反映する多国間条約の作成については米国が譲歩する一方、国際航空発展を推進、管理する国際機関の設立については英国が譲歩する妥協が行われたことになる。

ICAOの特徴を2つあげると、1番目はICAOはシカゴ条約と不可分一体の関係にあり、シカゴ条約の第2部に規定され、同条約への加入とICAOへの加盟が同時に行われるということである。したがってICAOへの加盟および脱退はシカゴ条約への調印、廃棄によって行われる。

日本はサンフランシスコ講和条約による主権回復後(1952年)シカゴ条約加入の申請を行い、1953年10月8日に加盟の承認を受けた。シカゴ条約はもともと第2次世界大戦の連合国並びに中立国の加入のために開放される(第92条)とされ、敗戦国である日本の場合には総会の5分の4の賛成と今次の戦争において侵略、攻撃された国の同意が必要とされていたのである(第93条)。第2次世界大戦中にシカゴで作成された条約という戦争の色彩が色濃く現れている。

2番目の特徴は、シカゴ会議の直前まで原案作りがされていた国際連合の設立も予想し(1945年4月)、国際連合の誕生の下でその専門機関として位置づけ、世界の諸国が平和を維持するために設立する機構との関係を作ったことである(第64条)。現在国連加盟国194か国(2007年)中189カ国がICAOに加盟している。
ICAOの恒久的所在地はカナダのモントリオールに定められ、法人格、法律上の行為能力を有するとされる。したがって契約を締結したり、動産、不動産の取得、訴訟能力なども有している

組織は総会、理事会、専門委員会、事務局から構成されている。総会は3年に1回行われ、条約改正など特別の定めをもって3分の2以上の決議と規定される場合(第94条)を除き、理事国の選出や年次予算の決定など総会決定事項は過半数の出席の下、過半数の決議で行われる。理事会は総会が選出する36の当事国の代表から構成され、航空運送において最も重要な国などの選出基準についても定められている(第50条)。

理事会はICAOの機関運営(行政的権能)、国際標準方式などの採択(立法的権能)。条約の解釈などに係る当事国間の紛争の解決(司法的権能)や国際民間航空機関の目的遂行に必要とされる調査、研究など企画権能も持ち、その力は広範かつ絶大である。日本は国連加盟が承認された1956年以来理事会の構成国となっている(日本はICAOには1953年10月に61番目の国として加盟しているが国連へは80番目の国として1956年12月18日に加盟承認されている)。

委員会は総会の決議によって設けられるが、航空の進歩に必要、有用な情報の収集などで理事会をサポートする航空委員会、理事会の構成員の12人から構成され、国際航空運送の経済面を担当する航空運送委員会(AirTransport Committee)、 法律委員会などがある。事務局(Secretariat)が設けられ業務の遂行を行っているが、事務局のメンバーはそれぞれの出身国から独立した中立性(第59条)が定められている。モントリオールの本部のほかに、バンコク、メキシコ・シティー、リマ、カイロ、およびダカールに事務所が設けられている。


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