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日本メーカーも最新旅客機の製造開発に参加している

1.「より速く、より多く、より遠くへ!」
乗客を快適に、かつ迅速に目的地へと運ぶ。実用的な交通手段としての旅客機が登場したのは、1920年頃の話。ライト兄弟による世界初の動力飛行が1903年のことであるから、意外に早いというべきか。

この頃の旅客機の乗客数は4~ 6名といった所で、この頃に盛んになりつつあった郵便輸送のついで的なものであり、性能的にも満足がいくものではなかった。この頃の空を飛ぶ交通機関といえば大型飛行船が主流であり、数十名の乗客を乗せ、大陸横断をする様は、豪華客船を想起させるものだった。どちらにせよ、社会的に上流といわれる人たちの乗り物であることは変わらなかった。

しかし、飛行機のテクノロジーの進化は、まさに日進月歩であり、1930年代には海を渡る大陸間横断路線が開設され、数十人乗りの大型飛行艇が次々と投入される。また陸上発着の旅客機でも、1936年にアメリカで画期的な旅客機であるダグラスDC-3が登場。
30人程度の乗客を乗せ、約300キロ程度で2400キロの長距離を飛ぶことができるこの機体は大ベストセラーとなり、程なく始まった第二次世界大戦でも輸送機(C-47)として各国で使用され、生産数は1万機以上にものぼった。

そして、戦後に余剰となった多くのDC‐3が民間航空会社に払い下げられ、本格的な旅客輸送の時代が幕を開けることになった。

その一方で、世界の主要航空機メーカーは、次々と新型旅客機を開発していった。より速く、より遠くへ。この言葉をスローガンに、アメリカと欧州の航空機メーカーがし烈な開発合戦を繰り広げた。

それによって、ジェット旅客機の登場や、より大量の人間を輸送できるワイドボディ機など、現在に繋がる様々な技術を生み出すことになる。その勢いは凄まじく、乗客は次々と鉄道や船舶から航空機に乗り換えていった。

そして、もうすぐ70年代になろうというタイミングで、超巨大旅客機。ボーイング747ジャンボジェットが登場する。この機体は最大で500名の乗員・乗客の輸送が可能という前代未聞の規模の機体で、結果として運賃を大幅に下げることができ、飛行機はより身近で手軽な交通手段となり、市場はさらに拡大していった。

そして「より速く」という欲求を、完全に満足させる旅客機も開発された。英・仏共同開発の「コンコルド」である。ところが、その運賃は途方もないものになった。それでも十数年間にわたって運航できたのは、国の援助があったからだ。

その後アメリカや旧ソ連でも超音速旅客機が開発されはしたが、結局まともに就航することなく終わった
要するに、超音速旅客機は採算がとれなかったのである。このあたりが軍用機と大きく違うところである。
そして、民間航空輸送は、より効率的な輸送を目指し、現在も進化を続けている。


2.新コンセプトの機体が拓く未来
現在、世界の民間旅客航空会社、いわゆるエアラインでは1980年代に就航した航空機を更新する動きが活発である。これは、機体の耐用年数もさることながら、最新のテクノロジーの機体を導入することで、より低コストで効率的な運航を実現しようというものだ。「より速く、より多く、より遠くへ」という旅客機の進化に求められたものは、その形を変えつつ現在も追求され続けている。

「より多く」「より遠くへ」の代表は、エアバス社の総2階建ての「夢の巨人旅客機」A380だろう。旅客数はじつに3クラス制の標準的な国際線仕様で約550人。全席エコノミー仕様なら、およそ850人を乗せることができる。

しかし、2007年10月より就役を開始しているこの機体に、目新しい技術はあまり使われていない。むしろ、確立された従来の技術を総合して、手堅く開発することを目指したのだ。新型のエンジンは、低騒音、低燃費であり、その姿から想像するよりもはるかに効率的だ。まさにハブ&スポーク方式の中心的な機体といえる。

一方、ボーイングの新型中型機である787は、現代的な意味で「より速く」を実現した機体かもしれない。ただ、実際には最大の特徴は経済性にある。燃費が良く、メンテナンスコストも低いため、運航経費が安く済み、200人前後の旅客を乗せ、頻繁に飛行して発着便数の増加に対応できる。また、航続距離もこのクラスにしては比較的長く、中小都市間をこまめに結ぶポイント・トゥ・ポイントに適した機体だといえるだろう。

乗り換えが要らないため、目的地に早く若くことができるのだ。
この787は、主・尾翼や胴体といった主要構造部分が複合材で作られている。日本のメーカーも製造に参加しており、機体の35%は日本製といわれている(A380も日本企業が20社以上参加しており、部品の日本製率はエアバス社の機体の中では高い)。また、複合材を使うことで、構造部分の結露から引き起こされる腐食の心配が少ないため、キャビン内に加湿器を設置することで旅客機につきものの乾燥を防ぎ、旅客は快適に過ごすことができるという。

本機は全日空が最初の運航会社になる予定で、2008年の北京オリンピックの輸送において、華々しくデビューするはずだったが、開発における様々なトラブルのため、第一号機の納入は2011年9月にまでずれ込んでいる。

こうしてエアバスとボーイングは自身のマーケティングに即した新型機の開発をしたわけだが、同時にライバル社の新型機に対抗した機体(エアバスA380に対しボーイング747-8と、ボーイング787に対しエアバスA350)も開発している。
エアバスとボーイング。次世代旅客機への争いはどちらが制するのだろうか。
3.日本の旅客機サプライヤーガイド
川崎重工業 航空宇宙システムカンパニー
独自開発機を手掛ける完成機メーカーでもあるが、多くの旅客機プログラムにパートナーとして参画。 間もなく登場する777Xの前部胴体、中部胴体パネルもKawasaki製である。

歴史は100年以上完成機では大型機に強み
川崎重工業(当時は川崎造船所)に初の飛行機製作所が作られたのは、1918年のことだ。1937年には川崎航空機工業として独立し、液冷エンジンを装備したスマートな三式戦闘機「飛燕」などを開発・製造した。

戦後はアメリカのT-33練習機やP2V対潜哨戒機、KV-107IIヘリコプターなどのライセンス生産で技術力をつけ、P2Vをベースに性能向上を図ったP-2J対潜哨戒機のほか、C-1輸送機や、独MBB社(現エアバス・ヘリコプターズ)と共同開発したBK-117などを製造。ブルーインパルスでも使われているT-4練習機、国産最大のC-2輸送機、国産唯一の四発ジェット機P-1固定翼哨戒機の開発と製造も行なった。ちなみに川崎重工業はオートバイでも大手メーカーとして知られているが、これは川崎航空機工業が民需の一環としてスター卜したものだ。

川崎航空機工業は、1969年に川崎車輌と共に川崎重工業と合併したか、川崎重工業は事業分野ごとに社内カンパニーを設けており、ジェットエンジンやヘリコプターを含む航空宇宙事業は川崎重工業航空宇宙システムカンパニーが担当している。同カンパニーは日本国内に5つの工場を持ち、岐阜工場と名古屋第一工場、名古屋第二工場では航空機や宇宙関連機器を、明石工場や西神工場(神戸)ではジェットエンジンなどを製造している。また、川崎重工業の米国法人であるカワサキ・モーター・マニュファクチャリングのリンカーン工場(ネプラスカ州)では、777と777X用の貨物扉の製造ラインが稼働している。

ボーイングとともにエンブラエル機とも密接
旅客機分野ではボーイングやエンブラエルとの関係が特に密接で、767では前胴パネルと中胴パネルなど、777や777Xでは前胴パネル、中胴パネルに加えて後部圧力隔壁など、そして787では複合材料製の前部胴体や主脚格納部などの製造を担当。またエンブラエル機においてはリスクシェアリングパートナーとして、E170/175の中央翼、動翼、主脚扉の設計、E190/195では動翼、主脚扉の設計・製造を担当している。

ジャムコ
戦後、整備会社としての出発後、航空機内装品製造に進出し世界的ブランドとしての地位を確立。近年、その知見を生かしたシート開発・製造もスタートさせ早くも軌道に乗せるキャビンプロダクトのスペシャリストだ。

ギャレーで40%ラバトリーでは50%シェア
ギャレーやラバトリー、シートなど航空機の内装品分野において、世界的なビッグメーカーとして認められているのが日本のジャムコ(JAMCO)だ。

1955年に新日本航空整備として設立され、その英語名(newJapanAircraft Maintenanse CO.)の頭文字が現社名の由来になった。もちろん現在でも、航空機整備はジャムコの事業の大きな柱のひとつである。

ジャムコが旅客機用内装品の開発や製造を開始したのは、1970年にANAのボーイング727用ギャレーを受注してからだ。かつてギャレーは航空会社ごとに作られることが多かったが、整備を通して航空機を知り尽くしたジャムコのギャレーは高く評価され、現在では世界の中・大型旅客機用ギャレーの約40%のシェアを占めるまでになった。

一方でラパトリーはメーカーが指定するのが普通だが、ジャムコは1979年のポーイング767向けから製造をスタート。その後もボーイング機については747、777、787は独占的に製造するなど、世界シェアは約50%に達する。

そして現在、ジャムコが新しい事業の柱として育てているのが航空機用シート事業だ。快適さを左右するシートは、デザインや機能だけでなく高い安全性が求められるため、開発・製造のできるメーカーは限られる。ジャムコは、サービスで定評あるシンンガボール航空から、他社に代わる緊急開発の要請を受け、短期間に完成・納入することに成功した。この快挙は世界中の航空会社からも注目され、航空機用シート事業に本格的に参入するきっかけとなったのである。

またギャレー、ラバトリー、シートという旅客機の主要内装品の全てを設計・製造できる態勢を整えたということは、ジャムコが旅客機の内装全般を一手に担うことができるようになったということを意味する。そのため、今後は航空会社から1機まるごとの内装改修を引き受けるような事業の広がりも期待されている。

三菱重工業
三菱重工業は日本を代表する航空機メーカーであると同時に、ボーイングやエアバスなどに部品を納入する大手サプライヤーでもある。複合材料製の787の主翼、767や777の後部胴体やドアのほか、A380の貨物ドアなども製造している。なお、日本で一体に組み上げられてドリームリフターで輸送される787の主翼と違い、777の胴体はいくつかのパネルの状態で輸送され、ボーイングのエパレット工場で円筒形に組み立てられる。

日本飛行機
日本飛行機(NIPPI)は第2次世界大戦前の1935年に創業して主に小型スポーツ機を製造したが、敗戦によって航空活動が禁止され、1949年に再建された。戦後はダクテッドファンのユニークなモータークライダーNP-100や金属製グライダーB4などを製造。現在の事業としては747-8の胴体フレームや主脚ドア、アウトボードフラップ、777のインスパーリブ、前脚ドア、A380の水平尾翼端などを製造するほか、航空整備や改造事業を行なっている(自衛隊向けYS-11エンジン換装なども行なった)。2003年に川崎重工業の100%子会社となり、その一翼を担う。

ナブテスコ
ナブテスコは、空気圧ブレーキ事業からスタートしたナブコと、繊維機械や航空機部品を製造していた帝人製機が2004年に合併して誕生した会社だ。列車ブレーキでは国内の約50%、ドア開閉装置では約70%、航空分野では、舵面を制御するフライトコントロール油圧アクチュエーターで国産機向けのほぼ100%を製造。777のFBW操縦周アクチュエーションシステムや787用の高電圧配電装置を開発・製造している。

IHI
日本が誇るエンジンメーカー
日本のエンジンメーカーも紹介しておきたい。IHI(旧称石川島播磨重工業)は、ジェットエンジン技術では日本で唯一国産エンジンを開発・製造できる企業と言っても過言ではなく、防衛省向けエンジンとしてF3(T-4練習機に搭載)やF7(P-1哨戒機に搭載)などの国産エンジンを開発してきた実績がある。民間向けエンジンでは、国際共同開発やRRSPの一端を担っており、PW1100G-JMのファンケースやSGV、GEnxの低圧タービンなど数多くのエンジン開発に参画している。

SUBARU
767以来、中央翼を手掛ける
SUBARU(スバル)は2017年4月に、かつての富士重工業が社名変更した企業だ。自動車ブランドを社名とするくらいで一般には自動車メーカーという印象が強いが、前身は日本最大の飛行機メーカーだった中島飛行機であり、現在も航空宇宙事業では日本有数の実力を持つ。旅客機事業には767から本格的に参入するようになり、在来型777と787、そして新しい777Xでも、飛行機の要ともいえる中央翼の製造を担当している。

ミネベアミツミ
航空機用ベアリング首位
1951年、旧・満州航空機製造の技術者たちが中心となって日本ミネチュアベアリングが設立された。これが後のミネベアであり、小型ベアリングについて世界トップシェアを誇っている。とりわけ航空機用ロッドエンド・スフェリカルベアリングは、A380や787など、ほとんど全ての旅客機で使われている。2017年にミツミ電機を株式交換によって完全子会社化し、社名がミネベアミツミに変更された。

住友精密工業
熱交換器と降着装置に強み
世界で初めて超々ジュラルミンを開発した住友金属工業から、航空機器事業部門を独立させて作られたのが住友精密工業だ。航空用エンジンなどに不可欠な熱交換器で世界有数のシェアを持つほか、ランディングギアの開発や製造にも高い技術を持ち、戦後の日本で製造されたほぼすべての機体のランディングギア開発に参加。MRJのランディングギアについても、プライム(一次メーカー)を務めている。

新明和工業
US-2飛行艇から787翼桁まで
新明和工業は、海上自衛隊が運用する大型救難飛行艇US-2のメーカーとして知られている。前身は第2次世界大戦中に二式飛行艇などを作った川西航空機だが敗戦によって航空事業を禁止されたため、ゴミ収集車などの特装車や立体パーキングシステムなどを幅広く手がけるようになった。旅客機用としては、787の主翼スパー(桁)のほか、777の翼胴フェアリンク、A380の主翼フィレットフェアリングなどを製造している。

ブリヂストン
100席以上の約40%がBS製
航空用タイヤは、支える重量の大きさ、離着陸時のスピード、上空での低温や接地時の摩擦熱など幅広い温度への対応、そしてもちろん軽量であることが求められるなど、きわめてむずかしく、開発・製造できるメーカーは世界でも限られている。 日本最大のタイヤメーカーであるブリヂストンは、100席以上の民間航空機のタイヤに関して世界約40%のシェアを占めるトップ企業のひとつとなっている。

東レ
世界一の炭素繊維供給メーカー
長く航空機の主材料として使われていたアルミ合金などと比べて、軽くて丈夫、しかも腐食や疲労に強いという特性を持つ炭素繊維。東レは1971年から商業生産を開始し、性能、品質、生産量ともに世界のトップ企業になった。東レはボーイングに炭素繊維を供給する唯一の(つまり100%の)サプライヤーであり、エアバスが使用する炭素繊維についても約50%を供給している。

帝人
東邦テナックスを吸収合併
大手繊維メーカーの帝人は、2018年4月にグループ会社で世界有数の炭素繊維メーカーだった東邦テナックスを吸収合併。航空宇宙分野や自動車分野で需要が高まっている炭素繊維事業を、さらに強化する態勢を整えた。帝人製の炭素繊維は、A380をはじめとする旅客機のほか、軍用機やヘリコプター、無人航空機などで幅広く使われている

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