航空機や飛行機の種類などデータ情報を提供します。空港やフライト情報も満載なので便利です。
エアバス
1970年創業
本社 フランス トゥールーズ
製造拠点
仏トゥールーズ工場(A380、A350、A330、A320)
独ハンブルク工場(A320)
中国天津工場(A320)
米モービル工場(A320)
カナダミラベル工場(A220)
A300を生み出した半世紀前の設立経緯
初のジェット旅客機や超音速旅客機の開発などで世界をリードしてきたヨーロッパの航空業界だが、商業的にはアメリカに太刀打ちできなかった。そこでフランス、ドイツ、スペイン、イギリスのメーカーの連合体(コンソシアム)として1970年にエアバスが設立され、1972年にA300が作られた。やがてエアバスが世界の旅客機市場を二分するほどに成長すると、より迅速な意思決定ができる株式会社に改組され、さらに2017年には親会社だったEADS(欧州航空防衛宇宙会社)と合併して新体制のエアバスとなった。
革新のイメージと保守的信頼性のバランス
強大なアメリカのメーカーに対するチャレンジャーとしてスター卜したエアバスは、徹底した合理性と新技術を前面に打ち出した旅客機作りをしてきた。初の双発ワイドボディ旅客機A300にはじまり、デジタルシステムとグラスコクピットを装備したA310、サイドスティックとフライ・パイ・ワイヤ操縦システムのA320、そのコクピットを受け継いで同一の機体ながらエンジン数が異なるA330とA340、総2階建てキャビンのA380などである。
こうした挑戦には不安視する声も常にあったが、信頼性と性能力が実証されると共に、広く世界に受け入れられるようになった。
A350XWBも787に対抗するために新技術を導入したが、革新性ばかりではなく信頼性を重視した設計とするなど、ただ目新しさを追求するというだけの体質ではない。また親会社だったEADSとの統合により、エアバス・ブランドは旅客機だけでなく軍用機やヘリコプターなども網羅することになった。なお、2018年にはボンバルディアからCシリーズ事業も買収し、A220としてラインナップに加えている。
コンポーネント輸送には専用輸送機ベルーガが活躍
ヨーロッパ各国が共同で設立したエアバスは、各地に製造拠点を構えている。特にEUとしてひとつの経済圏になる以前のヨーロッパでは、各国の製造分担などの公平性が重視されたということと、各国が持つ技術や設備などのリソースを有効に活用するためである。
各国で作られた部品は、さらに主翼や尾翼、胴体などのまとまったコンポーネントとして組み上げられ、最終組立ライン(FAL)のある仏トゥールーズや独ハンブルクに運ばれる。こうしたコンポーネントの輸送を効率的に行なうために、エアバスは早くから巨大な貨物室を持つ特殊輸送機を活用しており、初期にはターボプロップ機のスーパーグッピータービンが、続いてジェット双発のA300-600STベルーガが使われるようになった。
現在はその後継機であるA330-743LベルーガXLの開発が進められており、2018年7月に初飛行した。半完成のコンポーネントを組み上げていくFALには、ゼロから部品を組み立てていくような設備は必要ない。そのためエアバスは中国やアメリカなど大規模市場への販売戦略をかねて、天津(A320FALおよびA330の仕上げ作業)と米モービル(A320FAL)にも工場を建設。また新たにエアバス・ファミリーに加わったA220は、現在はカナダのミラベル工場で製造されているが、将来的にはモービル工場にもFALが設けられることになっている。
3.
DC-10は70年に初飛行、71年アメリカン航空で初就航、トライスターは70年初飛行、72年にイースタン航空で初就航している。先に登場していたジャンボとともに、空の大量輸送時代、ジャンボ・エアバス時代到来などと言われたものだった。
ところで日本ではDC-10とトライスターの二機種を、何のためらいもなくエアバスと総称していたが、実はアメリカでは計画当初からエアバスと呼ぶのを避けていた。イースタン航空が初めて導入した、都市間のバス式の運航方式(予約不要、切符も機内で買える)のエア・シャトルと混同されて、安っぽいイメージになるのを嫌ったためだった。
逆に当初からズバリ「エアバス」の名で研究をスタートしたのが、ヨーロッパ諸国だった。ついには協同でエアバス・インダストリーという会社を設立、エアバスA300を誕生させてしまった。試作機が72年に初飛行し、74年にエール・フランスのパリ~ロンドン線に初就航した。これでエアバスは固有名訶化した。
ちなみにヨーロッパ製のA300は双発、250席、中・短距離用で、コークが初めに構想した「エアバス」に最も近い機体になっていた。