目次

旅客機の製造が終了して乗ることができないメーカーのまとめ

1.消えた旅客機ブランド
約100年におよぶ旅客機と旅客機メーカーの淘汰の歴史の中から、特筆すべき13社をピックアップ。各社の代表的な機種とともに、その潮流を遡る。

ヴィッカース
(ヴィッカース・アームストロング)
全日空でも活躍したバイカウントのメーカ
全日空が運航していた4発プロペラ機バイカウントのメーカーである英国のヴィッカースは、ヴィッカース・アームストロングとして1927年に設立された。「バイカウント」のほか、「バンガード」や4発旅客機VC-1Oを開発。1960年にイングリッシュ・エレクトリック・エビエーション、ブリストル・アエロブレーンなどと合併し、BAC(ブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション)となった。 BACは先のYC-10や双発ジェット旅客機BAC-111を開発・製造したが、1977年にBAe(ブリティッシュ・エアロスペース)となった。

コンベア
日本のエアラインでも多く運航されたコンベア
日本航空や日本国内航空が運航していたコンベア880や全日空が運航していたコンベア440を開発・製造したアメリカのメーカー。

1923年設立のコンソリデーテッド・エアクラフトと1939年設立のハルティー・エアクラフトが、1943年に合併してコンゾリデーテッド・パルティー・エアクラフトとなり、1947年に双発プロペラ機コンベア240を開発、派生型の340,440、580、640などを開発。1953年にジェネラル・ダイナミクスに買収され、1958年にジェット旅客機コンベア880を、1961年にストレッチ・バージョンのコンベア990を開発した。しかしB707やOC-8に敗れ、両機合わせても100機強しか製造されなかった。その後はコンベア・エアクラフト・ストラクチャーズが、他社の構造部位を製造していたが、1994年にはマクドネル・ダグラスに売却された(現、ボーイング)。

サーブ
1999年に民間機の製造を終了
JACのサーブ340、航空局のサーブ2000等のメーカー。1937年にスウェーデ・アエロプレーン社として設立され、現在はJAS39「グリペン」戦闘機のメーカーとして知られている。1999年にターボプロップ機のサーブ340、2000の製造を終了、民航機ビジネスから撤退した。その後は、自社製造機のサポートや三菱航空機のMRJのメンテナンス・マニュアルなど技術文書の作成を担当。近年はエンブラエル、ボーイングとの連携が目立つが、もしも一部に報じられているようにエンブラエルが新型ターボプロップ機開発に着手したら、サーブがなんらかの形で民航機ビジネスに関わるかもしれない。

シュッド・アヴィアシオン
往年の双発旅客機「カラベル」を生み出した
独特なおむすび型の窓が特徴の双発旅客機「カラペル」を開発・製造したフランスの国営航空機メーカー。1957年に同国のSNCASEとSNCASOが合併して誕生した。 東京消防庁などで使われた、世界初のタービン・ヘリコプター「アルエットⅡのメーカーでもある。1970年にノール・アビアシオンなどと合併してアエロスパシアルとなったが、このアエロスパシアルがドイツのMBB、英国のBAeと共同で設立したのか、現在のエアバスである。

ダッソー・アヴィアシオン
失敗作「メルキュール」でも知られる
ビジネスジェットのファルコン・シリーズや、ミラージュ、ラファールなどの戦闘機で知られるフランスメーカー。1971年に160席クラスの小型旅客機「メルキュール」を開発し、3年後に市場に投入した。しかし航続距離が2000km程度しかなく、石油危機による燃油高などもあり、「メルキュール」を発注したのは自国の国内エアライン、エール・アンテールだけ。やはり航続距離が短かったことが致命的だった。 結局7500万ドルを投じて開発された「メルキュール」は、市場投入の翌年に製造を中止し、わずか12機の製造という大失敗作に終わった。もちろんダッソーは旅客機ビジネスから撤退した。

デ・ハビランド・エアクラフト/デ・ハビランド・エアクラフト・カナダ
世界初のジェット旅客機を開発
デ・ハビランド・エアクラフトは1920年に設立され、「モスキート」など多くの名機を生んだ英国の航空機メーカーだ。世界初のジェット旅客機「コメット」や独特の3発旅客機「トライデント」を開発、一時は英国を代表する旅客機メーカーだったが、1960年にホーカーシドレーにより買収。 一方、1928年に設立されたデ・ハビランド・カナダはDHC-6、DHC-7、DHC-8等のメーカーで、1988年にボーイングの子会社となり、その後、1992年にボンバルディアに買収された。そのボンバルディアは2018年11月、Q400シリーズをカナダ、バイキング・エアの親会社であるロングビュー・エビエーション・キャピタルに売却すると発表。

ドルニエ
数々の名機を生み出したドイツの名門
1914年設立。飛行艇や大戦中の爆撃機、独特の双発戦闘機Do335等で知られる。戦後はDo27、Do28といった小型機を開発し、1981年にコミュータ機Do228を開発。1985年にダイムラー・ベンツグループのメンバーとなった。 1991年にDo328を開発、1996年に米国のフィアチャイルド・エアクラフトに買収され、フィアチャイルド・ドルニエとなり、1998年にDo328JETを開発した。その後、50~11O席クラスのリージョナルジェット、Do728/928の開発に乗り出したが、2002年に倒産。なお、ドルニエでのDo228の製造は1997年に終了したが、現在、スイスに本社があるRUAGで製造が続いている。なお小型飛行艇のシースターは、今もドイツのドルニエ・シースターが手がけている。

日本航空機製造
戦後初の国産旅客機YS-11を製造
1959年6月に設立された特殊法人で、戦後初の国産旅客機YS-11の設計開発・製造、販売、プロダクトサポートなどを担った。母体は1957年5月に東京大学内に発足した財団法人輸送機設計研究協会である。 YS-11の設計開発は日本航空機製造が行ない、製造は三菱重工業(当時の新三菱重工業)、川崎重工業(当時の川崎航空機)、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機工業、住友精密工業などが担当。最終アセンブリーは三菱重工業が行なった。しかし、営業やプロダクトサポート等の問題から受注数が伸びず、180機で製造終了。1981年末に日本航空機製造の業務は民間に移管することとなり、これを受けて1982年9月、三菱重工業が同社の業務を引き継いだ。結局、約360億円の累積赤字となった日本航空機製造は解散した。

フォッカー
伝統あるオランダの名門
1912年設立。数々の名機を生んだオランダを代表する航空機メーカーである。 フォッカーF27、F28、F50、F70、F100など、現在のリージョナル機の草分けとも言える機体を開発・製造したが1996年に倒産。1997年に機体製造を終了し、その後はサポートやサプライヤー事業が中心だ。 また、F100などは、ベルギーや中国企業などによる再生産計画も幾度か報じられたが、実現しなかった。現在は構造部位、脚、ワイヤーハーネスなどを手掛け、特に近年注目の熱可塑性樹脂の複合材料では高い技術力を有する。2011年にフォッカー・テクノロジーとなり、2015年に英国大手のGKNに買収された。

BAe
(ブリティッシュ・エアロスペース)
英国の各メーカーが集約したかつての国営企業
1977年、BACやホーカーシドレ一等が合併して誕生した英国の国営航空機メーカー。 BAe146やジェットストリームJ31、J41、ATPなどを開発・製造した。1992年にはBAe146の性能向上型をアブロRJとして市場に投入。 さらにエアバス機(A300~A340) の主翼製造を担当。英国の主要な航空機メーカーは、最終的にBAeに集約、1980年に民営化された。 さらに1999年11月にマルコー二・エレクトロニック・システムズと合併してBAEシステムズとなり、その後、2006年に20%あったエアバスのシェアを売却。さらに構造部位製造部門のBAEシステムズ・エアロストラクチャをアメリカのスピリッツ・エアロシステムズに売却した。結果、現在BAEシステムズは旅客機の完成機製造は行なっていない。

マーチン
1952年4月、伊豆大島の三原山に墜落した日本航空の「木星号」、マーチン2-0-2のメーカー。1912年にグレン・L・マーチン社として設立され、かつてパンナムが運航した大型飛行艇M-130「チャイナ・クリッパー」のメーカーでもある。1947年に先の双発旅客機マーチン2-0-2、その後コンベアとなった。その後3-0-3,4-0-4を開発。1950年代前半まで製造していた。ちなみに日本航空では5機のマーチン2-0-2をリース、1951年~53年まで運航していた。マーチンはその後、ミサイル、ロケット・メーカとして成長。1961年にマーチン・マリエッタとなり、さらに1995年にロッキードと合併して、現在のロッキード・マーチンとなった。

マクドネル・ダグラス
DC、MDシリーズを生産したボーイングのロゴマークに名残
元は1921年に設立されたダグラス社と、1939年に設立されたマクドネル社が合併して1967年に誕生した。ダグラスは名機DC-3をはじめ、日本航空でも運航されたDC-4、DC-6、DC-7、「空の貴婦人」と呼ばれたDC-8、東亜圏内航空が導入したDC-9シリーズなどのメーカーである。 合併後はDC-10、MD-11、MD-80/90シリーズなどを開発、ボーイングとともにアメリカを代表する旅客機メーカーであったか、1997年にボーイングと合併。同社のMD-95は、ボーイング717-200として製造された。なお名前は消えたが、ロゴのデザインは、今もボーイングのデザインとして生きている。

ロッキード
最後の旅客機はトライスター
1926年に設立。1995年にミサイルで有名なマーチン・マリエッタと合併して、現在はロッキード・マーチンとなっている。同社はF-22、F-35等の軍用機メーカーでもあり、防衛分野のトップ企業として君臨する。一方で、ロッキードは、コンステレーション、エレクトラ、L-1011「トライスター」といった旅客機のメーカーとしても知られていた。しかし、「トライスター」を最後に旅客機ビジネスからは遠ざかっている。 もっともNASAの将来旅客機(N+2)では、ボックス・ウィング機のコンセプトをとりまとめ、最新のNASA「QueSST」X-planeのプライムでもある。さらに次世代SSBJ機アエリオンAS2に参加、将来は超音速機や次世代機で旅客機事業に再参入するかもしれない。


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