1.ジャンボ機にもさまざまな種類があった
日本人の間でこれまでもっとも人気のあった旅客機といえば、ジャンボ機。ボーイング747だろう。どの方向から見ても絵になり、遠目でも「あ、ジャンボだ」とわかるフォルムは、とにかくファンが多かった。各地の空港にはじめてジャンボ機が舞い降りたときは多くのファンたちが見物デッキに詰めかけたものだ。
けれど、ひと口に「ジャンボ機」といってもその種類はいろいろだった。
747-100/ 200/ 300はクラシックジャンボと呼ばれ、いずれも初期に活躍したタイプ。世界でも最多の計100機を超える747を導入したJALは「ジャンボ機王国」などともいわれたが、そのなかにもいくつかのタイプが存在した。
-100の1号機がJALに納入されたのは、パンナム(パン・アメリカン航空)の747が初就航したのと同じ年の1970年4月。その-100のエンジンを改良して航続性能を高めたモデルが-200Bで、長い航続距離を活かして北米への直行便などに投入された。
クラシックジャンボの最終モデルとなったのが旧型の2階席を後方に約7m延長した747-300だ。2階席だけで最大63名の乗客が乗れるようになり、このボディの形はのちの-400にも引き継がれていく。
日本の航空ファンにいちばんなじみ深いのが、「ハイテクジャンボ」といわれる747-400だろう。 主翼先端に装備された空気抵抗を軽減させるためのウイングレットがシンボルマーク。操縦席はブラウン管による多機能表示ディスプレイを多用したグラスコクピットになり、正副2名のパイロットだけでの運航が可能になった。エンジンもより高性能化して航続距離がさらに延び、JALもANAも欧米などへの長距離国際線の主力機材として747-400をフル活用した。
国土が狭い日本の国内を飛ぶ旅客機は、1日に何回も往復するために胴体や床面の構造を強化した特別な仕様の機種が必要だった。 ジャンボ機でいえば747-400Dというタイプがそれに当てはまる。
-400DのDはドメスティック(国内)の略で、この国内線に特化したジャンボ機は過去に日本にしか存在していない。 それ以前には、SRと呼ばれるタイプが国内の空をリードしていた時代もある。
SRは「ショートレンジ(短距離)の略で、離着陸する回数の多い日本の国内線の事情に合わせて開発された。
初代の-100の着陸耐用限度が約2万4600回だったのに対して、747SRでは約5万2000回と脚部が大幅に強化された。 これら747ファミリーを称賛するファンやエアライン関係者の声は、いまも止まない。「ジャンボ機は気流の悪いところを飛んでも、安定していて操縦しやすかった」と懐かしむのはパイロットたちだ。
客室乗務員らは「ギャレーが広くて働きやすかった」と話す。「客室が広くて快適」「優雅に飛び立った姿を空港の展望デッキで見ているのが好きだった」
というファンも少なくない。 2011年3月にJALのジャンボ機が多くのファンに惜しまれながら姿を消し、2014年4月にはANAが運航していたジャンボ機もすべて退役した。しかし、747の歴史がそれで幕を閉じたわけではない。伝説の名機は「747-8インターコンチネンタル」という名でパワーアップしてよみがえり、いまも世界の空に君臨しつづけている。
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