目次

マイナーな航空機メーカーの製造拠点や機種の特徴について

1.アントノフ
アントノフ
1920年創業
ウクライナ キエフ
製造拠点
アントノフ量産工場(キエフ)

新造機の生産実績は2015年以降、わずか2機
ソ連時代、ウクライナにはアントノフ設計局と2つの生産工場が存在した。ソ連崩壊後もこれらは並存していたが、アントノフ設計局と同じ敷地にあった工場Aviantが統合され、ハルキウの工場もこれに合流した。その後、まとめてウクロホロンプロムの傘下に入っているが、企業としての体制は混沌としている。2000年代に入り、ロシアでの旅客機の生産は復活傾向にあった一方、ウクライナでは合計しても生産数が年間10機を超えることはなく、その少ない注文すら十分にこなせない状態であった。

アントノフの収益は、An-124やAn-225を運航するアントノフ航空に依存していた。それでも、An-148/158とAn-140はなんとか開発を終え、年間数機のレベルで量産をスター卜させた。しかし、An-140の生産はハルキウの工場の経営とともに行き詰まり、キエフでのAn-148/158の生産もなかなか伸びずにいた。そんな中、ウクライナ危機後のロシアとの関係悪化により、ロシア製部品の入手が困難になっていく。現在は事実上、生産が止まっている状態である。近年では、2015年に貨物輸送機的178の試作機1機、2017年にAn-132の試作機1機を完成させたに留まる。

ロシア製部品に頼らない生産体制構築を模索
現状、ロシアからの部品の納入が停止しているため、事実上、航空機の製造は停止状態にある。部品の変更を行なうことで、生産再開を試みているようであるが、実務がどこまで進んでいるかは不透明だ。民間機ではAn-158、An-178の生産を継続したい意向のようだが、ロシア製部品の代替を行なうことは、開発やり直しに近い。An-178はシルクウェイ航空から10機の受注が報道されているが、認定を取得し民間機として就航させる目処は立っていないのか、現実である。

2.ATR
ATR
1981年創業
フランス トゥールーズ
製造拠点
イタリア ナポリ(胴体・尾翼)
フランス ボルドー(主翼)
フランス トゥールーズ(最終組み立て/試験飛行)

ターボプロップ機の新規受注で大きなシェア
1981年に、フランスのアエロスパシアル(現エアバス)とイタリアのアエリタリア(現レオナルド)は、それぞれに計画していたターボプロップ機の開発を共同で進めることになり、50%ずつを出資してATRを設立した。ATRはフランス語およびイタリア語で「地域航空機」を意味する。

最初に作られたのは48席のATR42で、1984年に初飛行した。その後、エンジンの強化や6枚プレードプロペラ装備などの改良が続けられ、現在はグラスコクピットを装備したATR42-600が製造されている。 またATRには、胴体を4.5m延長して78席を装備できるようにしたATR72もある。こちらは1988年に初飛行し、ATR42と同様にエンジン強化や6枚ブレードのプロペラなどの改良がなされ、現在はグラスコクピットのATR72が製造されている。ATR42とATR72では、90%の予備部品か共通化されており、パイロットの資格も共通である。

ATRのライバルはQ400ということになるが、2010年から2018年にかけての受注数はATRの方が3倍も多く(シェア75%)、CRJやEジェット、あるいはMRJなどのリージョナルジェットを含めても全体の35%を占めている。 ATRは、2025年までに日本に100機のターボプロップ機需要があると見込んでおり、そのうちの70%程度は獲得したいとしている。

3.西安飛機工業
西安飛機工業
1958年創業
中国 西安
製造拠点
西安

MA60失敗の影響
元を辿ればアントノフAn-24を西安航空機が独自に発展させたY-7という輸送機があり、それを更に発展させたターボプロップ旅客機がMA60 (2000年初飛行)だった。しかし立て続けに発生した事故のイメージが払拭できず に、その近代化仕様であるMA600の胴体を延長したMA700というニューモデルまで計画したものの、実現には至っていない。

4.中国商用飛機
中国商用飛機
2008年創業
中国 上海
製造拠点
上海・浦東(上海航空機製造)

COMACの設立のすべては大型旅客機成功のため
2008年に中央政府と上海市、そして中国の航空産業を束ねるAVICの出資により設立されたCOMAC。目的は中国初の大型旅客機の開発・製造を促進するためで、本社は上海に、生産の拠点も浦東国際空港に置いた。C919の詳しい計画が明かされたのはCOMAC設立の翌2009年のことで、その機体規模はまさに737やA320と競合する。

中国における旅客機開発計画そのものは、C919のローンチより遥か以前から存在していた。2016年に中国国内線で実用化を果たしたARJ21の開発承認は2002年のことだし、さらに90年代後半へと遡ればNRJと呼ばれる58~76席級の小型リージョナル機の開発計画もあった。

このうちARJ21は確かに実運航まで漕ぎつけたが、それとて中国がかつてライセンス国産したMD-90-30Tのリバースエンジニアリンクと指摘されており、十分な競争力を持つ機体とは言えない。足元の巨大な市場を追い風にして、次こそ本命のC919へと昇華させようというのは、ごく自然な流れだろう。

C919からCR929ヘ
ワイドボディ計画も始動

C919の初号機は2015年11月に上海でラインオフし、そして2017年5月5日に初飛行。その年末には2号機も飛行試験に加わり、報道によれば2021年頃の運航開始を目指しているようだ。エンジンはいずれ国産機種も追加するが、まずは最新かつ信頼のおけるCFMインターナショナル社製LEAP-1Cを搭載して軌道に乗せるほか、餅は餅屋を徹底して、欧米の各サプライヤーとともに手堅い機体に仕上けるよう取り組んでいることが分かる。

もっとも、このC919とて最終目的地ではない。COMACはワイドボディ機(280席規模)の開発計画も始動させ、これはロシアのUAC(AVICと同じく自国の航空産業を束ねる存在)と合流してCR929の開発名が、与えられている。 初飛行の計画は2023年。去る10月にはイタリアのレオナルドも参画を表明し、早くも話題豊富だ。

5.三菱重工業
三菱重工業
2008年創業
日本 愛知県
製造拠点
日本県営名古屋空港内

新たに輝く国産旅客機の灯
1910(明治43)年に日本で最初に飛んだ飛行機は、フランスとドイツからの輸入機だった。すぐに外国の技術を参考にして国産化も試みられるようになったが、もちろん当時は専業の航空機メーカーはない。そこで三菱では造船部門が、航空用エンジンや機体などの製造を行なうようになった。

1920年には、三菱神戸造船所から内燃機部門が独立して名古屋に三菱内燃機製造株式会社が設立され、これが1922年に三菱航空機と改称された。三菱で最初に「航空」の名を関した会社の誕生である。ただし三菱航空機は、1934年には再び造船会社と合併して三菱重工業になった。これは、造船と航空機製造は設備や技術に共通性が高く、運用を一元化した方が効率が良いという判断による。それから第二次世界大戦にかけて、三菱重工業は有名なゼロ戦(零式艦上戦闘機)など、数々の航空機を世に送り出していった。

終戦による航空禁止措置が解除されると、三菱重工業はアメリカのライセンスによって航空自衛隊の歴代主力戦闘機の製造を担当するようになった。また、独自開発機としてもターボプロップ双発機のMU-200やターボファン双発機のMU-300、そして日本初の超音速機T-2練習機やMH2000ヘリコプターなどさまざまな航空機を開発した。そうして培った技術を駆使して、新たに挑戦することになったのが国産旅客機MRJだ。

現在の三菱航空機は、MRJがローンチした2008年に三菱重工業の100%子会社として設立された。その目的は、MRJの設計や型式証明の取得、調達、販売、カスタマー・サポートなどを行なうこと。つまりMRJ以外の航空事業のほとんどは、従来通りに三菱重工業によって続けられる。あるいはMRJについても試作や製造、飛行試験については三菱重工業が担当している。

三菱重工業は、MRJの他にも787の主翼、767や777の後部胴体やドア、747の内側フラップや中央翼、A380の貨物ドアなど多くの旅客機部品を製造している。またエンジンに関しても、たとえば787やA350XWBに使われるロールス・ロイストレント(Trent)の燃焼器モジュールや低圧タービンブレードなどの製造を担当する。ただし、こちらも新会社として2014年に三菱重工航空エンジンが発足して業務移管された。2018年12月には、MRJが装備するPW1200Gの国産初号機の組立ても完了している。

6.UAC
UAC
2006年創業
ロシア モスクワ
製造拠点
IAZ(MC-21最終組立)
KnAAZ(SSJ最終組立)
Aviastar SP
(IL-76最終組立、SSJ周体パネル・尾翼)
VASO(IL-96最終組立)
KAZ(Tu-214最終組立)
NAZ
NAZ Sokol
AeroComposit-Ulyanovsk (複合材部材)

旅客機から戦闘機まで強まるUACの主導権
UACはソ連時代に起源を持つ機体の設計局、量産工場を統合した企業である。ソ連時代は、設計部門と製造部門が別々の企業体であったが、ソ連崩壊後、有力な企業が他の企業を傘下に収め、設計・製造双方の機能を持ったスホーイ社、イルクート社などがまとまりつつあった。UACはそれらの機体メーカーすべてを統合する存在として設立された。

当初は各社の独自性は強かったが、UACの主導権は年々強くなってきているように見え、統合は進んでいる。UACはロシアの固定翼機の機体関連企業のほぼすべてを傘下に収め、旅客機、貨物輸送機、飛行艇、戦闘機、爆撃機を包括的に生産し、総合的機体メーカーになりつつある。

旅客機の生産は、各設計局や工場が独自に機種を持っていたため、生産数に対して機種が多すぎたが、ここ数年でMC-21、SSJ、IL-114、IL-96、Tu-214(政府向けのみ想定)に集約された。SSJは年間数十機レベルの量産を維持し、MC-21や中国との共同開発機CR929などの開発を進めている。

工場は独立した企業体 しかし事実上、UACの拠点
UACはソ連時代から続く複数の機体工場を傘下に持つ。統合が進行中であり、まだ独立した法人格を持つ工場もあるところがややこしいが、事実上、UACの工場とみなし得る。

なかでも旅客機の生産において重要な役割を果たしているのは、SSJの最終組立を担当するKnAAZと、MC-21の最終組立を担当するIAZ、IL-76の最終組立とともにMC-21の胴体パネルや尾翼の製造を担当するAviastarSP、そしてIL-96の生産を担当するVASOである。 また、UACの子会社として設立されたアエロコンポジット社は、複合材部材専門メーカーとして力をつけつつあり、MC-21の新製法による炭素繊維複合材製主翼は国際的に注目されている。

この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!


ページのトップへ戻る