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日本の地方空港の将来は整備をして訪日外国人をどれだけ呼べるかが重要

1.欠かせない訪日外国人の需要
日本にとって、航空自由化はいわば「黒船来襲」である。ペリーもアメリカ人であったが、まさにアメリカが日本に「空の開国」を迫っていたと言えよう。すでに「開国」している他のアジア諸国が存在していることが、幕末の状況とは異なっているが。

もう1つ、幕末とは異なる状況がある。それは、減少傾向にある日本の人口である。今後確実に進む人口減少を考えると、訪日外国人を増やすことも重要な施策である。2003年に小泉内閣が提唱した「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が効を奏し、訪日外国人数は2007年に過去最高の834万人を記録した。

民主党新政権は「観光立国」を成長戦略の1つに掲げ、従来の計画を前倒しして、そのための予算も倍増した。2013年には訪日外国人を1500万人、2016年までに2000万人、2019年までに2500万人、そして3000万人へと増やす計画である。

国士交通省の試算によると、2010年の成田空港と羽田空港の国際線拡充による経済効果(貨物は省く)は年間4935億円である。このうちのほとんどが訪日外国人による効果と見積もられている。訪日外国人の1人当たり旅行消費額は、13万円である。彼らが地方を訪れるようになれば、大きな経済波及効果が期待できるだろう。

特に伸びしろが期待されるのが中国人だ。これまで中国人の観光ビザは、不法就労を防ぐ狙いから、団体旅行客向けしか発行されていなかった。2008年には富裕層を対象に家族旅行を認めたが、添乗員の同行が条件となるなど結局、自由な個人旅行は認められなかった。

その後、2009年7月に中国からの訪日個人観光ビザの申請受付が開始され、8日にそのビザを取得した第一陣の旅客が上海と北京から到着した。成田空港の到着ロビーでは、中国から来た旅客に花束を贈るなど、歓迎セレモニーが開催された。

2008年の中国人の海外旅行者数は4600万人、うち日本に訪れたのはたったの100万人だ。中国の人口は推定13億人、中流階級層の増加とともに訪日旅客が増加すれば、日本経済への経済効果は無視できない。

東南アジアからの観光客も注目株だ。東南アジアの人口は約6億人で、経済成長とともに所得が上昇してきている。彼らを日本各地に呼び込むためには訪れたくさせるような動機づけが必要である。海外にない日本の魅力として、温泉、ショッピング(秋葉原・銀座)、アニメが注目を浴びている。なかでも北海道など、東アジアにはない自然を感じられる地方は人気が高い。

2008年の訪日外国人の3割が韓国人であった。彼らにとって、東京に来るならば金浦=羽田便が便利である。また、仁川空港から日本への就航路線は26都市にも上っている。もはや日本の主要都市には就航便が張られ、わざわざ成田、羽田、関西、中部空港から、国内線を乗り継いで地方空港に飛ぶ必要はない。仁川空港は、日本の都市を結ぶことでハブ空港となり得ている。したがって、韓国人は日本へ行く場合、訪問したい日本の地方空港から入国するのである。中国人も同様である。上海空港は日本の17都市と結ばれている。

たとえば福岡空港では、ソウルはもちろんのこと、北京、大連、上海の中国の主要都市や、台北、シンガポール、バンコク、マニラ、ホーチミンからの路線も就航している。これら各都市の旅客にとっては、福岡もしくは九州一円の地方を訪れたい場合には直接福岡空港への乗り入れが便利なのは間違いない。

欧米人であれば、現在は成田空港を利用するのが通常であるが、仁川空港の国際線ネットワークが発達してくれば、仁川経由で日本の地方空港へ飛ぶケースが増えるかもしれない。
そうなると、まさに「成田パッシング」である。これは成田空港にとって深刻な問題である。

たとえ成田空港から入国したとしても、成田空港の国内就航線は8都市しかなく、便数も少ない。成田の場合は国内線を多便化させないと、地方へのアクセスは陸路を通っての羽田空港経由になるか、新幹線に獲得されてしまう。

訪日外国人を地方に呼び込みやすくするためには、国内線ハブ空港である羽田空港の国際路線網の充実が期待される。しかし羽田空港が多少増枠したところで、国際線ネットワークが集約する成田空港の果たす役割は大きい。成田空港の国際・国内乗り継ぎの利便性向上や、より廉価な国内航空運賃の提供が不可欠であろう。

しかし、航空輸送の利便性向上や低価格な運賃は、航空の潜在需要を高めるだろうが、航空は単なる移動手段にすぎないことを忘れてはいけない。大切なのは、訪日外国人がどこを目的地とするかである。現在では訪日外国人の6割は東京を目的とするという。地方へ足を向けてもらうには、地方の魅力をアピールしていくしかない。


2.5000万人以上が利用する国際線
2004年度の国際航空旅客数は5186万人を数える。うち、日本の航空会社が運んだのは1827万人。これらの旅客数は、日本発(出国)、日本着(入国)、トランジット(通過客)をすべて含む数であり、たとえば日本在住者が一度海外へ出て帰国すると2人と計算される。

ちなみに日本人出国者の総数は、04年1683万人、05年1740万人である。国内線旅客数が過去数十年間、ほぼ同様のペースで上昇カーブを描くのに対し、国際旅客数はトータルにみると総数を順調に伸ばしているが、とくに2000年以降は外的要因で需要が大きく変動している。

海外渡航者・入国者が過去最高を記録した00年度の翌年にあたる01年9月、米国同時多発テロが発生。これにより01年度の国際線マーケットは大きな影響を受け、たとえば全日空の国際線旅客数は前年度比19.8%減と大幅なマイナスとなった。

翌02年度は成田空港の第2滑走路(暫定平行滑走路)オープンなどもあり旅客数が増加に転ずるが、03年度はイラク戦争およびSARS(重症急性呼吸器症候群)が航空業界を直撃、国際旅客数はふたたび大きく落ち込んだ。

その後は国内景気の回復や05年2月の中部国際空港の開港などを背景に、旅客数は増加基調へ戻っている。ただ、その間にも中国での反日運動やバリ島のテロ事件などの影響で観光需要が低迷、運体や減便が行われるなど、世界情勢の影響を受けやすい状況は続く。日本市場は、欧米等に比べ世界情勢の変化に敏感に反応する傾向があるようだ。


3.変貌する世界の空港
赤字空港というキーワードから、日本の空港の現状について考えた。そこでは、空港の赤字というものは、それほど単純にとらえることができないこと、さらには日本の空港を取り巻く状況が急激に変貌していることを指摘した。

具体的に言えば、空港「建設」の時代は終焉し、空港そのものをいかに「運営」するか、そしていかに空港を「経営」するかという視点が重要になってきている。

「建設」から「運営」へ、「運営」から「経営」へという一連の流れは、日本だけに起こっていることではない。歴史的に早く航空産業が誕生した欧米では、速度の差があるとはいえ、同様の変遷をすでに経てきている。むしろ、日本の空港を取り巻く状況の変化は、スピードが遅いくらいに感じられる。世界の空港は変貌している。

なかでも航空の先進国である欧米が、どのような経緯をたどっているのか、どのような制度をもっているのかを知ることは、日本の空港の今後を考える重要な知見となるだろう。欧米の現状は、日本の将来を映す鏡かもしれないのだ。

さらにはアジア諸国の空港も、欧米とは別の意味で大きく変貌してきている。アジアでは、日本の方が他国よりも航空の分野で先進的であった。そのためアジア諸国は、日本に追いつき追い越すべく空港を国家戦略としてとらえることで整備を行ってきた。

地理的にも、日本は東アジアに位置しているから、日本の空港がアジア諸国の空港政策から受ける影響はとても大きい。日本には、成田、関西、中部といった国際空港がある。報道によって得られる情報からは、日本の国際空港が将来的な展望を描くのは難しいように思いがちである。しかしながら、性急な解答を求めるのではなく、いましばらく諸外国の空港の動向について考察してゆきたい。
そのためには、世界の空港のなかで、日本の空港はどのような地位を占めているのかを知ことが最初の一歩となる。


4.日本の空港整備の歴史
日本の民間航空輸送は1951 (昭和26) 年に再開された。太平洋戦争中、旧日本軍が使用していた各地の飛行場は在日米軍に接収されたり、農地に転用されたりしていたが、1956年に空港整備法が制定されてから民間航空用の飛行場建設は順次進み、1964年までには民間航空用飛行場は離島飛行場・建設中飛行場も含めて全国で56までに急増した。

空港整備法は公共の航空運送用の飛行場を空港とし、国際航空路線に必要な空港を第1種空港、主要な国内航空路線に必要な空港を第2種空港、地方的な航空運送を確保するために必要な空港を第3種空港とし、各種別での空港の設置管理者、整備工事費の負担区分を詳細に設定した。また民間航空は防衛省管理飛行場(小松、徳島など)や在日米軍管理飛行場(三沢など)を使用できるものとした。

空港整備法ができてからすでに半世紀が過ぎ、この間の航空産業の飛躍的な発展や日本の産業構造の変化などにより、法の趣旨と実際に差がある空港例もある。すなわち設置管理者の変化(第1種空港の成田、関西、中部の各空港の設置管理者は各空港会社)、国際線の廃止(第1種空港:伊丹)、定期便の廃止(第2種空港:八尾、第3種空港:福井等)、第3種空港への国際定期便乗り入れ(岡山、富山、福島)である。

国土交通省は2008年1月末、空港整備法の名称を空港法に改め、内容を新規空港の整備促進から既存空港の利便性向上に転換する法改正案をまとめた。具体的には、上場を目指す成田国際空港会社など、空港会社や関連施設会社に外資規制(議決権のある株式数の3分の1未満)を導入し空港種別については従来の1種、2種などから、成田、中部、関西の法人管理空港、羽田、大阪などの国管理空港、神戸、岡山などの地方自治体管理空港といった管理主体別に改める。

また成田国際空港会社と羽田空港の旅客ターミナル管理会社などに外資規制を導入し外資の持ち株比率を議決権がある株式の3分の1未満に制限した。この外資規制は外資の対日投資を減退するとの批判が噴出し、空港法案の今後の取扱いに注目が集まっている。

国土交通省の1964年『運輸白書』によれば、民間航空再開以来、旅客貨物の輸送量、航空機の運航回数は激増し1963年の旅客数は国際線で80万人、国内線で784万人と1953年に比べて、それぞれ8.6倍(年平均22%増加)、 18.5倍(同30%増加)と急増しており、1963年の運航回数も国内線で36万9000回、国際線で1万5000回に及び、昭和30年代からの日本経済の高度成長時代を迎え急増した航空需要を空港整備法による空港整備の促進により対処していった。

当時から航空需要は地方と東京・大阪を結ぶ路線(当時は羽田、伊丹から国際線が発着し、名実ともに拠点空港として機能していた)に集中し、昭和30年代を通じて空港整備費の60%は第1種空港(羽田・伊丹)に投入された。


5.路線を開放しても発着枠を持て余してしまう地方空港の現実
およそ100カ所ある地方空港の国内路線の利用客が頭打ちなのは、誰もが認めるところだろう。そのため、新たに国際路線を就航させる。国交省が進める地方空港限定のオープンスカイには、一定の理解ができる。そこに海外のローコストキャリアを誘致する発想そのものも悪くはないと言う。

だが、現実には地方空港のオープンスカイだけでは、自由化の波にはついていけない。目下、日本の自由化政策といえば、地方空港と韓国との路線開設が主流である。国交省は、香港やタイなどから日本の地方空港への乗り入れに合意したとPRしている。が、実のところ、それは関空や中部、福岡など一部に限られている。

路線を開放し、自由化しても、発着枠を持て余してしまう地方空港の現実は、繰り返すまでもない。そこについて、やはり地方空港の収益環境は、今後さらに厳しくなります。たとえば青森から北海道まで新幹線がつながれば、東京から四時間半で札幌まで行けます。まして他の地方空港となると、新幹線との競合はますます激しくなる。北陸などは、金沢まで2時間半程度で行けるようになります。航空機は鉄道と比べると二酸化炭素の排出量が多いという問題もあり、その経営は苦しくならざるを得なくなっていくのではないでしょうか。こうしたことを考えると、やはり空港が国内だけで生きていける時代ではなくなっていくのです。

ただし、いくら地方のオープンスカイ政策を掲げても、世界からは相手にされない。そこについては、今のところ明確な答えは見いだせないようだ。
「地方空港に限らず、関空などでも海外の航空会社を積極的に取り込まなければ、収益が成り立たなくなっています。それには広い視野で、強い日本を作るために何をしなくてはならないのかを見なくてはいけない。農業と同じように輸入制限だけで、航空は守れないということです。

いかにも手詰まり感のある日本の航空行政。日本と他の国では、コペルニクス的世界観の違いがあります。オープンスカイの流れが起きた要因の一つには、人間の移動がかつて考えられないほどの規模になったことがあげられます。とりわけアジアでは、二十数億人の人口を抱える中国とインドの経済発展という要素が大きい。

また一方で、インターネットの発展により、情報の伝達速度が飛躍的にあがってきた。ビジネスにおいては、インターネットでできることの限界がある。やはりインターフェイスの必要があるため、人やモノを大量に、しかも素早く運ぶ手段である航空が発展し、それがオープンスカイという流れを生んだのです。分かりやすくいえば、金融界で起きたマーケットの変化が、航空の世界で起きていると考えればいい。しかし、日本の航空政策はかつての日本の金融行政と同じくオールドモデルのまま。それに気づいていないのです。

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